樺美智子の死は「悲劇」か?
早いもので、全学連が安保反対を訴えて強引に国会に突入したのが今からもう既に45年前のことである。60年安保である。今時の20代の人間に「ゼンガクレン」なって言ってもなんだか代わらないだろろう。
60年9月、学生デモ隊は、国会に突入しようとし、守る警官らの大乱闘となった。そのとき警官隊の発射した催涙弾が運悪く、デモに参加していた東大生の樺(かんば)美智子氏を直撃し、彼女は死亡した。これは悲劇だろうか。
ぼくはこれを悲劇とは思わない。
当時の全学連は暴力革命を標榜し、選挙などを通じて民主的に政治を改革するという解決方法を放棄し、ゲバ棒を振り回し、警官隊に火炎瓶を投げつけ、アジ演説をおこない、悦にいっていた。
一言で言えば革命家を気取っていたのだ。だが、彼らの中で本気で武力革命を考えていたのはごく少数だろう。
この時期学生運動が起こったのは、当時TVゲームもクラブもディスコ、2ちゃねるもコミケもなく、若いエネルギーを発散できるような理屈と場さえあればよかったからだ。
つまり多くの学生達は本気で革命なんぞ考えていなかった。祭りに参加したかった、あるいは単なるファッションであったのだ。
彼らには大した思想も信念も根性もなかったのだ。それが証拠に大抵の連中はみな卒業の時期が近づくと荒井由実の歌、「いちご白書をもう一度」のように、髪を切って就職していった。
ぼくが彼女の死を悼まない理由は以下に集約できる。。
1)全学連は民主的な政治改革を放棄し、暴力革命を標榜していた。暴力革命に犠牲者はつきものである。ところが、自分たちは警官隊にゲバ棒を振り、火炎瓶を投げつけておいて、自分の仲間が死んだら大騒ぎをするのはフェアではない。
2)彼女は仲間達と強い同志意識をもっていた「革命家」であった。革命家が死を恐れてはいけない。
3)暴力革命に犠牲者はつきものである。つまり他人を殺して当たり前というのが革命家である。自分が殺されても、まして相手に殺意がなく、事故で命を落としたとしても仕方あるまい。
4)彼女は周囲が引き留めるにもかかわらず、敢えて自ら集会に参加した。
5)あの騒ぎは一種の「祭り」であった。リオのカーニバルにしろ、祭りに死者は付き物である。
6)民主主義を否定した行為だった。
実際あれだけ、大騒ぎして何が変わった?
何も変わっていない。大学が封鎖され休講つづきで、ろくに勉強していない(ぼくのような)学生が多数世にでてしまった。
本気で革命を起こすのであれば、あんなこどもだましみたいの自己陶酔的なデモや集会なんぞやらずに、警察や自衛隊に仲間を浸透させ、その手引きて警察や自衛隊の基地を襲い武器を調達し、本格的な内戦、ゲリラ戦に持ち込むべきだったろう。あれだけの人数がいたなら、失敗しても政府に対して相当な政治にダメージを与えることができたろう。
所詮学生運動はまともに働いている労働者の支持をえられなかったわけで、その時点でゲリラ闘争、武力闘争の目はなかった。つまり、大学という遊園地にいける経済的余裕のある坊ちゃん嬢ちゃんの革命ゴッコに過ぎなかったわけだ。
要は本気で国の体制を変えるなんて考えていなかったわけだ。つまり樺美智子氏は単なる「革命ゴッコ」なるレジャー活動を「政治運動」と勘違いしてしまい、命をおとしたのである。
まあ共産主義、社会主義なんぞは、ちょっとインテリを気取った若者が一度はかかる麻疹みたいなものである(幸いにしてぼくは小学生の時に発病したので完治が早かった)。
米国のSF作家のコードウェナー・スミス氏は外交官の息子で、日本でくらしたこともある。彼が左翼思想に傾倒したとき彼の父親は彼を中国に渡らせた。ホントウの共産主義を目の当たりしたスミス氏は落胆して帰国した。
30、40、50代を過ぎても直らない日本赤軍の連中みたいにならず、夢と理想に燃えてた中で死んだのだからむしろ幸福かもしれない。彼女は歳をとることはない。スポンサーを失った老人テロリストとして転々と中東を逃げ回る必用もない。
60年9月、学生デモ隊は、国会に突入しようとし、守る警官らの大乱闘となった。そのとき警官隊の発射した催涙弾が運悪く、デモに参加していた東大生の樺(かんば)美智子氏を直撃し、彼女は死亡した。これは悲劇だろうか。
ぼくはこれを悲劇とは思わない。
当時の全学連は暴力革命を標榜し、選挙などを通じて民主的に政治を改革するという解決方法を放棄し、ゲバ棒を振り回し、警官隊に火炎瓶を投げつけ、アジ演説をおこない、悦にいっていた。
一言で言えば革命家を気取っていたのだ。だが、彼らの中で本気で武力革命を考えていたのはごく少数だろう。
この時期学生運動が起こったのは、当時TVゲームもクラブもディスコ、2ちゃねるもコミケもなく、若いエネルギーを発散できるような理屈と場さえあればよかったからだ。
つまり多くの学生達は本気で革命なんぞ考えていなかった。祭りに参加したかった、あるいは単なるファッションであったのだ。
彼らには大した思想も信念も根性もなかったのだ。それが証拠に大抵の連中はみな卒業の時期が近づくと荒井由実の歌、「いちご白書をもう一度」のように、髪を切って就職していった。
ぼくが彼女の死を悼まない理由は以下に集約できる。。
1)全学連は民主的な政治改革を放棄し、暴力革命を標榜していた。暴力革命に犠牲者はつきものである。ところが、自分たちは警官隊にゲバ棒を振り、火炎瓶を投げつけておいて、自分の仲間が死んだら大騒ぎをするのはフェアではない。
2)彼女は仲間達と強い同志意識をもっていた「革命家」であった。革命家が死を恐れてはいけない。
3)暴力革命に犠牲者はつきものである。つまり他人を殺して当たり前というのが革命家である。自分が殺されても、まして相手に殺意がなく、事故で命を落としたとしても仕方あるまい。
4)彼女は周囲が引き留めるにもかかわらず、敢えて自ら集会に参加した。
5)あの騒ぎは一種の「祭り」であった。リオのカーニバルにしろ、祭りに死者は付き物である。
6)民主主義を否定した行為だった。
実際あれだけ、大騒ぎして何が変わった?
何も変わっていない。大学が封鎖され休講つづきで、ろくに勉強していない(ぼくのような)学生が多数世にでてしまった。
本気で革命を起こすのであれば、あんなこどもだましみたいの自己陶酔的なデモや集会なんぞやらずに、警察や自衛隊に仲間を浸透させ、その手引きて警察や自衛隊の基地を襲い武器を調達し、本格的な内戦、ゲリラ戦に持ち込むべきだったろう。あれだけの人数がいたなら、失敗しても政府に対して相当な政治にダメージを与えることができたろう。
所詮学生運動はまともに働いている労働者の支持をえられなかったわけで、その時点でゲリラ闘争、武力闘争の目はなかった。つまり、大学という遊園地にいける経済的余裕のある坊ちゃん嬢ちゃんの革命ゴッコに過ぎなかったわけだ。
要は本気で国の体制を変えるなんて考えていなかったわけだ。つまり樺美智子氏は単なる「革命ゴッコ」なるレジャー活動を「政治運動」と勘違いしてしまい、命をおとしたのである。
まあ共産主義、社会主義なんぞは、ちょっとインテリを気取った若者が一度はかかる麻疹みたいなものである(幸いにしてぼくは小学生の時に発病したので完治が早かった)。
米国のSF作家のコードウェナー・スミス氏は外交官の息子で、日本でくらしたこともある。彼が左翼思想に傾倒したとき彼の父親は彼を中国に渡らせた。ホントウの共産主義を目の当たりしたスミス氏は落胆して帰国した。
30、40、50代を過ぎても直らない日本赤軍の連中みたいにならず、夢と理想に燃えてた中で死んだのだからむしろ幸福かもしれない。彼女は歳をとることはない。スポンサーを失った老人テロリストとして転々と中東を逃げ回る必用もない。
この記事へのコメント
そのくせ「日本の民主主義は自分たちが守ったとか威張るし・・・・
「20までに共産主義にかぶれない者は、
情熱が足りない。
20過ぎても共産主義にかぶれる者は、
知能が足りない。」
と言う名言を仰っていましたな。
・・・しかし、団塊の世代ってやつは・・・
ですが、彼女を「悲劇のヒロイン」としてたたえる連中が今だにいるという現実が問題。
ぼくからみれば、登山にいって遭難したのとの同じです。
おまえらゴールデン街でオダ上げたり、傷口を舐めあったりしている暇があれば情報発信しろ、本を書け、と思ったのは両者対して変わりませんな。
正直言ってぼく自身は両者を明確に分析するほど左翼文化には詳しくないです。
ですが、いわんとすることは彼女をヒロイン扱いするのはおかしいというところです。
まあ、しったかぶりと言われても仕方ありませんね。
しかし、
>文書の観念性、インチキぶりがあらわれてるね
それこそ具体的な指摘もなく、観念的な批判、他人をインチキよばわりするのは60年代も70年代も左翼にも共通する悪癖だと思いますが。当時子供だったぼくにはそういう屁理屈をこねて、結局なんにもできなかった学生のおにいさんやお姉さんにへきへきしてましがね。
理屈だけで世の中がかわる、テメエが一番頭がいい、とおもっていたのは両者共通ですがね。
著者の言いたいことを理解しようとせず、アラ探しに熱中するのは左翼の本性でしょう。
個人的には60年代、70年代の学生運動に対して違いはあるとはおもっておりません。
ヤクザや右翼には色々系統やら、筋が違うのがありますが、フツウひとからみれば「ヤクザ」であり「右翼」なんですよ。それと同じです。
重箱の隅つつくの、ためにする議論、仲間割れと、リンチとゴールデン街で酔ってくだまくのが好きなのは両者に共通してますね。
左翼運動について熱く語りたいなら、間違ったブログに来ていると思いますよ。
まあ、ぼくの周囲には元活動家やら政党関係者もおり仲良くしておりますが。もっとも駄目なやつはいくら歳をとっても直りませんがね。
だれも、権力の側にいた人には感動しませんよ。2.26の青年将校や石原莞爾に感銘しても、東條英機には感銘はしないでしょう。この文脈で見れば、樺美智子の死に感銘を受けたとしても何ら不思議ではないし、死んだ機動隊員には「可哀そう」とは思っても感銘は受けないわけです。
当時の若者達が本気で革命を起こそうとおもっていたらな、警察のやりすぎだなんて情けないこと言ってってなかったはずですよ。革命で死人が出るのは古今東西の常識ですよ。
所詮お遊びだと思ったのにに死人が出た、しかもいままでゲバ棒ふって、アジ演説に酔いして、権力の犬と機動隊員に火炎瓶をなげつけていた、これは警察が悪くて、オレ達は被害者だといなさけない反応したことを批判しているわけ。革命でたかだが一人死んだからってしぼむヘタレだった。当時機動隊員から殴られて「本気で殴るな」と文句言っていた学生がいたぐらいですから。
額に汗して働いている真面目な労働者は醒めていましたよ。大学まで親のカネでいって押しクラ饅頭やってる連中が「大衆の支持」なんかえられるもんですか。ぼくは他人のマスターベーションに感動する感性は持ちあわせていません。高杉晋作やら石原完爾らも連中と同列に扱われちゃ迷惑でしょう。
それと、「細かいこと」というけど、事実認識だけはしっかりしておいた方がよいと思いますよ。とくに他を非難する時は‥。ご存知かどうか知りませんが、国会突入時の全学連主流派(ブンド)は、「アジ演説に酔いしれて」いたのは確かだが、「ゲバ棒ふって、機動隊員に火炎瓶をなげつけていた」という事実は全くありませんね。
清谷さんがそのお立場で頑張っておられることには敬意を表します。僕なんぞ、なんにもしていませんから‥。
もうひとつ言わせていただければ、どうも二元論的な発想が強すぎるような気がするんですけど‥。もう少し柔軟性があれば、輪も広がりを見せると思うんです。余計なことかも知れませんが。。。
ちなみに僕は、石原莞爾と久坂玄瑞を尊敬申し上げております。同時に、樺美智子の死を弔いたい気持ち(英雄視とか悲劇のヒロインとか、そんなのではなくて)も持ち合わせています。
そんな人って、世の中に結構いるんじゃないでしょうか?
あとは見方の問題でしょう。冷たく聞こえるかもしれませんが、祭りと革命に死人は付き物です。だからある程度の死人がでても仕方ない、それがぼくの見方です。
猪瀬さんも林信吾も学生運動してましたが。別にそれがを問題にすることもありません(林信吾にいたっては14歳の時に革命資金調達のため郵便局強盗を計画、逮捕されました。これおは寺山修司や猪瀬さんもエッセーで書いてます)。現に今も右から左までつきあいは広いですし、ブログを見れば分かるように右でも左でも正しいことは正しいと評価しているつもりです。
学生運動に参加したあるパーセンテージの当時の若者は真剣だったでしょう。
わたしはその時代を知らない若者ですが、でも、その時代や過去や、歴史を知らなければならないと思いました。
そして、知ろうと思いました。
情熱とか非人道的とか難しそうな言葉を使っても中身がないことをしていると左翼のようにろくな人生を歩まんですわな
学生運動もそのひとつです60年と70年が違おうが、人々に迷惑を掛けたのは間違いないのですから
>それこそ具体的な指摘もなく、観念的な批判、他人をインチキよばわりするのは60年代も70年代も左翼にも共通する悪癖だと思いますが。
>60年安保と70年代全共闘運動じゃ全然ちがうだろ。
っていう具体的な指摘があるように見えるのですが、それに関してはまったく回答をしないのですか?
つい横から口をはさみたくなって申し訳ないんですが、文章のアラ探し、というより、もっと歴史をちゃんと見てから発言してほしい、と思ったのではないでしょうか?
右翼と左翼の個人的な印象のみを概念として、このあと清谷さんは受け答えをしているし、
たとえば、
>所詮学生運動はまともに働いている労働者の支持をえられなかったわけで
ってあるんですが、当時のことを記録した記述に『…日頃はデモを敵視する商店主やタクシーの運転手たちまでデモ隊に好意的であった。…』(石川真澄『戦後政治史』)とあったり、一概に支持されていない、とは言えません。
それから、
>革命で死人が出るのは古今東西の常識
>祭りと革命に死人は付き物です。だからある程度の死人がでても仕方ない
など、一般的な社会でのあり方からだいぶ外れた発言が随所に目立ちます。(革命や人の死に対する概念だけではなく、文章を内容からとれる筆者の位置が、です。)
私もそこが無性に目に付いて、いろいろな指摘をしている方々の言わんとする気持ちがなんとなくわかるのです。
すいません、なんか書き込んだ内容が誤字脱字だらけで、、!
それから、意図して”悲劇のヒロインみたいに”とれる記事を書いているものはどうかと思うのですが、
悲劇が悲劇であることは変わりはないし、こういった歴史は受け継いでいくものです。
その上で、(後に記録で呼んだ人はともかく)伝えるのはその時代をよく知る、その時代をリアルタイムに生きた人なのだから(”悲劇のヒロイン”を意図したかどうかはわかりませんが、)感情はつき物だと思います。
当時の人々の反応、それも含めて、これだけのことが起こったという記録だと思います。
民主主義を否定し、他者より自分たちが優れているという根拠無き妄想を暴力行使の原動力にしている点では何らかわりはありません。
>一概に支持されていない、とは言えません。
お説の通りです。1000万人の内一人でも理解を示すものがいれば「理解を示したものもいた」となります。
ですが、当時の多くの「労働者」は学生達の道楽と醒めた目でみていました。
学生達が多くの支持をあつめたのあれば、彼らが権力を握っていただろうしそれが極端でもフランスの五月革命のような様相を呈したでしょう。
革命を標榜する勢力が成功しないのは民衆の支持かなかったらです。
>など、一般的な社会でのあり方からだいぶ外れた発言が随所に目立ちます。
全部事実ですよ。祭りにも革命にも死人がつきものです。ご自分の脳内の妄想や
感情、あるいは願望を事実であるかのようにいうのは如何なものでしょうか。
民俗学と歴史の本を何冊か読んでみることをお勧めします。
過去、流血が無かった革命の例があるならば是非ともご教授ください。
警官隊に火炎ビンを投げつけたりゲバ棒で殴りつける、あるいは内戦によって議会制民主主義を弾圧することを是とする連中に与してわけです。彼女は。自業自得です。自分たちは人を殴る側にいたわけですからね。不幸な事故でありますが、味方出た錆です。
国家がそのような暴徒を鎮圧するのは当然あります。
それともあなたは警官は黙って学生に殺されれば良かった、政府は国会議事堂を明け渡せば良かったと仰るのでしょうか。
個人が感傷に浸るのは勝手ですが、感傷で事実に目を背けるのは賛成できません。あのとき馬鹿な学生が内戦を起こして権力を取ったらどうなっていたでしょうね。お定まりの革命政権内の内ゲバですよ。日本は北朝鮮のようなっていたでしょうね。
それがお望みなのであればぼくは何も言いませんが。
まぁカテゴライズしていかないと楽に考えられないモンね
もう少し客観的に考えられないもんだろうか
中学生の頃、学生運動時の都心の状況を撮影した写真を見ましたが、警察車両を引っくり返して気勢を上げている学生や、警察官を集団で棒なんかで殴り飛ばしている学ランを着た学生の表情を見る限り面白がってやってますよね。こいつらの何処が「革命の闘士」なのか自分には全く分かりませんし、理解したくもありませんが、当時の学生は「革命の闘士」という言葉を楯にやりたい放題暴れていたわけです。
そして恐ろしい事に未だに学生運動による暴動行為や、傷害事件を正当化する人間がいるんですよね。こういった人間達が今の腐った日本を生み出したんでしょう。
それと樺美智子でしたっけ?この人は完全に自業自得でしょう。イラク三馬鹿と同じですよ。
しったかぶり?さんが突然言い出したように見えます。
全共闘はただの基地外。
何か文句ありますか?
ゲバラの革命は、分かりやすく、しかし骨太で鋼の意思と言うか、とにかく優しくて強い、こんな男なら騙されてもいいからついて行きたい!と思えるのですが、昔のフィルムやニュース、ドキュメンタリーなんかで見かけたりする赤軍や全学連の代表の思想や理屈って、格好悪いしアホ臭い。
あの格好悪さは、あの時代を象徴するような格好悪さなんですか?
教えて下さい
アホがアホナ死に方をした
まさに自己責任死だね
確かに、国会の占拠は不法侵入や威力業務妨害の罪が疑われ、警察が制圧・逮捕するのは正当です。しかし、殺してよいはずがありません。なぜなら、樺さんは武器を持ってはいませんでしたし、ましてテロリストのように己が要求を実現するために誰かを殺傷しようとしていたわけではないからです。ただデモに参加していただけなのです。
したがって、私は彼女の死を悼みます。
理由1)について、警官隊にゲバ棒を振って火炎瓶を投げた者が反撃されるならわかるが、なぜ無抵抗の樺さんが殺されなければならなかったのか。このことが大騒ぎされるのは当然ではないか。彼女の死を利用して警察や政府を非難した全学連が、フェアではないとしても、利用された彼女が殺された上にその死を悼んでもらえないという二重の死者に鞭打つ仕打ちを受けなければならない理由はあるのか。
理由2)について、革命家が死を恐れてはいけないという命題が正しいと仮定しても、そのことは革命家が殺されたり死を悼まれなかったりしてよい理由にはならないのではないか。
理由3)について、(思想は自由だが行動は制限されるから)暴力革命は志向しても罪にはならず、実行に移して初めて罪になるが、樺さんは暴力を行使していないのではないか。(先のコメントと重複するが)革命家といえども警察はこれを制圧・逮捕はできても、殺すことは(現に誰かを殺傷しようとでもしない限り)許されないのではないか。
理由4)について、樺さんの死を自己責任とするのは、殺したものの責任転嫁になるばかりか、国家権力による弾圧を許し、国民を萎縮させてその権利(集会・結社の自由や言論・表現の自由、思想・良心の自由など)を侵害し、政治への民意の反映すなわち国民主権を妨げるのではないか。
理由5)について、「祭り」で警察による過失・犯罪が正当化されるなら、暴動・暴力革命も「祭り」にすれば無罪となってしまい、これは暴論ではないか。
理由6)について、理由1)~5)特に理由3)と4)が反民主的であるのに、ここで民主主義の否定を非難するのは矛盾ではないか。
一つは、大学時代には革命家を気取りながら卒業後には就職した者たちを非難する一方で、革命家を続ける者たちをも非難する矛盾です。
もう一つは、「革命ごっこ」と揶揄しながらそれに対する警察の取締りを酷過ぎる・厳し過ぎると非難しないどころか肯定する矛盾です。
それにしても、革命家は警察に殺されても仕方ないとすることによって、天安門事件を起こした中国共産党的になってしまった矛盾は、あまりに皮肉な結果ではないでしょうか(安保闘争に際しての岸信介首相からの自衛隊の出動要請を、防衛庁長官が「日本国民を守るべき自衛隊に、自国民に対して銃口を向けさせることはできない」と拒否した逸話は有名で、これを清谷「防衛」経済研究所の清谷さんがご存じないはずがありませんから)。
思想や人物の好き嫌いは無論自由ですが、徒に死者を貶めるのは頂けません。このブログにこういう形で樺さんの死を利用した清谷さんに彼女の死を利用した全学連を非難する資格はあるのでしょうか。警察にももっと国民の生命・財産を守る使命感があったら、樺さんの悲劇は起きていなかったかもしれないとはお思いになりませんか。
最後に樺さんのご冥福をお祈りします。合掌
そのとおりです。
60年安保で 全学連主流派の幹部クラスで 後に中核派の幹部に転じて内ゲバ事件を引き起こした人は何人もします 樺美智子さんが死んだときの国会突入の指揮を執った方もです
学生サイドが無抵抗?どこがですが?下山事件ばりの陰謀論に結び付けたい方が上のほうにいらっしゃいますが
この状態で 死者が1人 少ない方じゃないですか?
学生サイドが無抵抗?どこがですが?下山事件ばりの陰謀論に結び付けたい方が上のほうにいらっしゃいますが
この状態で 死者が1人 少ない方じゃないですか?
西部センセイは 僕らの世代は変な人多いよ 昔は暴力革命っていっていたのに いまじゃ憲法九条擁護って言う人いるからねと言っておられます
綱領でも ブントはそうなっていたようですが 今の世代も変な人多いですよね そのうち 安保闘争が 憲法9条擁護と結びついて語られるようになったりしてね
ただ、単純に親のお金であの時代に、大学まで通わせてもらいながら、なんてことしてるんだと。
今で言う、麻雀などに明け暮れる留年してる人と、過激さが違うだけで変わりないと思います。
そして、今、あなたたちは何も変えてはいませんし、変わっていません。
過激なサークル活動にしか思えないですね。
それを武勇伝のような語るのは滑稽でかわいそう。
ネトサヨは国を滅ぼす前に死ね
金持ち親の道楽で反日オナニーやっていたゲロカス共は死んで当然ざまあみろバーカ