ロンドンの思い出-1
先のロンドン同時多発テロを機に思い出したのですが、初めてロンドンに行ったのが86年ですから、今からほぼ20年も前、大学を出てすぐのことでした。おおむねふた昔と思い、唖然としました。
少年老い易く学成り難し、とはよくぞ言ったものです。
初めての海外、それがロンドンでした。ヒースロー空港(当時はターミナル4はまだありませんでした)から地下鉄ピカデリー線に乗って程なく、列車が地上で、ヒースの花が咲く野原を目にしたことが昨日のようです。当時は空港からロンドン中心部まで地下鉄で約一時間はかかりましたが、今はパディントン駅からヒースロー・エキスプレスなるノンストップの列車があり、アットいう間についてしまいます。
何とか迷いながらも下宿先に辿りついたのですが、下宿屋のオバサンがのっけから、
「あなた、初めに言っておきますけどもね、この家ではカップヌードルは禁止ですからね」
と腕を組んで大仰に仰る。
彼女はユダヤ人で、豚は勿論、甲殻類も御法度だったわけです。知識としては知っていましたが、実際にそういうシュチュエーションに放り込まれるのはまた別問題で、これがぼくにとっては海外での初のカルチャーショックでした。
少年老い易く学成り難し、とはよくぞ言ったものです。
初めての海外、それがロンドンでした。ヒースロー空港(当時はターミナル4はまだありませんでした)から地下鉄ピカデリー線に乗って程なく、列車が地上で、ヒースの花が咲く野原を目にしたことが昨日のようです。当時は空港からロンドン中心部まで地下鉄で約一時間はかかりましたが、今はパディントン駅からヒースロー・エキスプレスなるノンストップの列車があり、アットいう間についてしまいます。
何とか迷いながらも下宿先に辿りついたのですが、下宿屋のオバサンがのっけから、
「あなた、初めに言っておきますけどもね、この家ではカップヌードルは禁止ですからね」
と腕を組んで大仰に仰る。
彼女はユダヤ人で、豚は勿論、甲殻類も御法度だったわけです。知識としては知っていましたが、実際にそういうシュチュエーションに放り込まれるのはまた別問題で、これがぼくにとっては海外での初のカルチャーショックでした。
この記事へのコメント
その時はじめて、贅沢と無駄を取り違えていた自分に気付きました。
パリやブリュッセルなどの安ホテルでもタイマー式のところがおおくて、少しもたもたしていると廊下の電気が切れてしまう、というのには驚きました。