【アメリカは自由の国か??】米下院初のムスリム議員 「コーランで宣誓」表明で波紋
民主党のキース・エリソン氏が下院選議員選で当選、米国初のイスラム教徒下院議員となりました。で、問題は彼が就任の宣誓に際しては聖書ではなく、コーランを手にすると表明、波紋を広げているそうです。
そら、キリスト教関係者やら保守系の人たちは「議員辞めろ」大騒ぎです。エリソン氏はキリスト教原理主義者によって暗殺されるかもしれません。
アメリカでは裁判やら公的な仕事に就く場合とか宣誓するときには聖書に手を当てますよね。俺はバテレンじゃないし、聖書は嫌いだから聖書は使わないとか言い出したらどうなるのだろうとか、仏教徒だから般若心経で宣誓する人間とかいないんだろうか、などと昔から疑問に思っていたのですが、まさにそういうケースが起きたわけです(セオドア・ルーズベルト大統領は聖書を使わなかったそうですが)。
まあ幾ら信教の自由を保障するといっても、それは建前の国ですから、米国世論は沸騰するでしょう。あの国はキリスト教原理主義国家ですから。ニューヨークとかロサンジェルスとか大都会はまだしも、ノースダコタやらアラバマの田舎なんぞは極めて保守的で、ホモだとバレると殺されるとかありますからね。
アメリカでエロビデオで顔射を始めたのも、キリスト教に配慮して中出しはNGだったからです。
移民にしてもヒスパニックがかつての日本人の移民ほど問題にならないのは彼らがカソリックからです。あれがブードゥー教とかイスラム教とか、拝火教だったら排斥されていたでしょう。
実はアメリカは宗教に関しては実はイランやイスラエルとたいして変わらない、とう事実を認識し、アメリカは自由の国とかすべてにおいて先進的という幻想は捨てるべきだと思います。
http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/061202/usa061202002.htm
軍事を知らずして平和を語るな
そら、キリスト教関係者やら保守系の人たちは「議員辞めろ」大騒ぎです。エリソン氏はキリスト教原理主義者によって暗殺されるかもしれません。
アメリカでは裁判やら公的な仕事に就く場合とか宣誓するときには聖書に手を当てますよね。俺はバテレンじゃないし、聖書は嫌いだから聖書は使わないとか言い出したらどうなるのだろうとか、仏教徒だから般若心経で宣誓する人間とかいないんだろうか、などと昔から疑問に思っていたのですが、まさにそういうケースが起きたわけです(セオドア・ルーズベルト大統領は聖書を使わなかったそうですが)。
まあ幾ら信教の自由を保障するといっても、それは建前の国ですから、米国世論は沸騰するでしょう。あの国はキリスト教原理主義国家ですから。ニューヨークとかロサンジェルスとか大都会はまだしも、ノースダコタやらアラバマの田舎なんぞは極めて保守的で、ホモだとバレると殺されるとかありますからね。
アメリカでエロビデオで顔射を始めたのも、キリスト教に配慮して中出しはNGだったからです。
移民にしてもヒスパニックがかつての日本人の移民ほど問題にならないのは彼らがカソリックからです。あれがブードゥー教とかイスラム教とか、拝火教だったら排斥されていたでしょう。
実はアメリカは宗教に関しては実はイランやイスラエルとたいして変わらない、とう事実を認識し、アメリカは自由の国とかすべてにおいて先進的という幻想は捨てるべきだと思います。
http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/061202/usa061202002.htm
この記事へのコメント
まあ、むしろイスラム教徒なのに偽って聖書に手を置くよりかはマシだと思ふんですがねえ。純然たる良心の問題なんであって。
議員さんの宣誓とは、そもそもの目的が違うので、割と寛容だったみたいでしたが。
どちらにしても、truly_falesさんのおっしゃるとおり、個人の良心の問題ですので、別に何に置いてもいいと思うんですが。社会生活を円滑に流すべき倫理規範の部分で、いまや古典に近くなった宗教相互で大きく違うわけでもなし。
まあ、こういうのは、日本人ならではの感想なんでしょうね、きっと。
アメリカには通常は宗教の自由があります。
これは宗教の問題ではなくアメリカの伝統文化の問題です。
日本の靖国神社の問題と同じ。
仏教の信者でも靖国に参拝するでしょう。それと同じ。
聖書で宣誓するのはキリスト教にもどづくアメリカの伝統文化なのです。
コーランで宣誓するのに反対なのはその伝統を否定する行為だからです。
宗教は自由なのだから、どの本で宣誓してもいいじゃないかというのとは別の問題。
件の議員はイスラム教テロリスト集団CAIRと関係のある人物で、まあこういう人が議員になるのは民主主義の皮肉ですね。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-128.htm
「聖戦の風景:文明というトリック」田原牧
http://web.chokugen.jp/tahara/2006/11/13_32a2.html
日本人なら熊野誓紙(牛王宝印)に起請文を書いて誓約ですな。牛頭天王(素戔鳴尊)に誓う。
でも、イスラム教の休日は金曜日だから、どうやってアジャストするんでしょうか?(日本の陸軍士官学校に留学していたマレーやインドネシアの生徒には、特別に学校側が金曜を休日にする配慮をしていたようです。)
日米とも、「アメリカが日本に民主主義を教えた」などという考えが、一般化していますが、当時のアメリカが本当に民主主義の国だったんですかね?
黒人やインディアンたちに聞けば、そんなことはないというでしょう。
アメリカは、イラクを日本式の占領政策を考えていたのとのことですが、元々日本は、発展途上ながら民主主義の国であり、それなりに土台があったからこそ、戦後、民主化が進んだということに気付いていないのですね。
そこには、自分達こそ正義であり、絶対であるという驕慢さが背景にあるのでしょう。
イスラム教でも聖典でしょうに。
宗教と文化は密接に関わっているので理屈では割り切れないものもあるのですが、伝統を押しつけるもどうかと。
将来は、イスラム教徒が自衛隊に入隊する事もあるでしょうから、それなりに対策を考えなくてはならないと思います。
宗教問題は、日本人が考えている以上にデリケートですから。