高校野球と部活動は国家の敵。全廃すべきである。
さて、例によって我が国夏の風物詩、愛国軍国感動ポルノ、夏の高校野球大会の季節となりました。以前は高校野球をやめろといったら国賊扱いされていましたが、昨今は見直し論が増えているようです。
そもそも本来のカリキュラムでもない高校野球大会に高校のリソースを割くのは、奇異なことです。しかも野球以外でも体育会系部活はバカの量産マシーンとなっています。
得てして運動部では先輩に盲従することが美徳であり、後輩には辛く当たっていいという歪んだ文化があります。
これは自分の頭で考えることができない硬直した思考の人間を大量生産しています。多様性を否定しているので独自の視点やアイディアが生まれない。自分の権限や権威に頼って、いばる。特に目下のものを奴隷のごとく扱う。
この体育会系の人間を重用してきたのが日本の大企業です。上司の言う事には絶対服従で体力があるのでガンバリズムには適している。だけど自分の頭で考えて判断できません。ですから経済環境が変わっても適応できる柔軟性がない。そしてパワハラ、セクハラ、モラハラを気にしない。
無論体育会系出身者でも立派な人はいるでしょうが、少数派でしょう。
ぶっちゃけ旧軍の下士官レベルの人間がエリートコースで将校や将官になるわけですから、世界で競合できるわけがない。先進国を追いかけていた時代はなんとか、なりましたが自分が先進国になってロールモデルが無くなったらお手上げ、となりました。
かつて故竹村健一氏が「モーレツからビューティフルへ」と言っていました。頑張りリズムではこの先生き残れない。感性が重要だという指摘でしたが、それを理解した経営者は少なかったわけです。
そしてもう一つの問題は教員の採用です。学校の本来業務ではない部活動の顧問を教師に押し付けます。無論生徒にも押し付けます。ただでさえ時間外労働の多い教師にとっては大きな負担となっています。
恐らく多少の見直しだと、部活動の改革は骨抜きになるでしょう。ですから部活動を全廃するべきです。そうしないと教師のなり手を確保できず、本来の学校の果たす役割を果たすことができなくなります。
5年も猶予があればできないわけがありません。
高校野球や部活で生徒を集めているような胡乱な学校は全部なくなればいいのです。私立はなくなるでしょうが公立ならなくなることはないでしょう。
感動ポルノの部活を死守するのか、教育機関としての学校を維持するために部活を廃止するのか二択しかないと思います。
■本日の市ヶ谷の噂■
鳴り物入りで採用された国産小銃、20式小銃だが、チャージングハンドルがフォアグリップを支える手の指に当たって骨折が多数発生。設計不良だと糾弾する声が多数上がっている、との噂。
体育会系~日本を蝕む病~ (光文社新書) - サンドラ・ヘフェリン
そもそも本来のカリキュラムでもない高校野球大会に高校のリソースを割くのは、奇異なことです。しかも野球以外でも体育会系部活はバカの量産マシーンとなっています。
得てして運動部では先輩に盲従することが美徳であり、後輩には辛く当たっていいという歪んだ文化があります。
これは自分の頭で考えることができない硬直した思考の人間を大量生産しています。多様性を否定しているので独自の視点やアイディアが生まれない。自分の権限や権威に頼って、いばる。特に目下のものを奴隷のごとく扱う。
この体育会系の人間を重用してきたのが日本の大企業です。上司の言う事には絶対服従で体力があるのでガンバリズムには適している。だけど自分の頭で考えて判断できません。ですから経済環境が変わっても適応できる柔軟性がない。そしてパワハラ、セクハラ、モラハラを気にしない。
無論体育会系出身者でも立派な人はいるでしょうが、少数派でしょう。
ぶっちゃけ旧軍の下士官レベルの人間がエリートコースで将校や将官になるわけですから、世界で競合できるわけがない。先進国を追いかけていた時代はなんとか、なりましたが自分が先進国になってロールモデルが無くなったらお手上げ、となりました。
かつて故竹村健一氏が「モーレツからビューティフルへ」と言っていました。頑張りリズムではこの先生き残れない。感性が重要だという指摘でしたが、それを理解した経営者は少なかったわけです。
そしてもう一つの問題は教員の採用です。学校の本来業務ではない部活動の顧問を教師に押し付けます。無論生徒にも押し付けます。ただでさえ時間外労働の多い教師にとっては大きな負担となっています。
恐らく多少の見直しだと、部活動の改革は骨抜きになるでしょう。ですから部活動を全廃するべきです。そうしないと教師のなり手を確保できず、本来の学校の果たす役割を果たすことができなくなります。
5年も猶予があればできないわけがありません。
高校野球や部活で生徒を集めているような胡乱な学校は全部なくなればいいのです。私立はなくなるでしょうが公立ならなくなることはないでしょう。
感動ポルノの部活を死守するのか、教育機関としての学校を維持するために部活を廃止するのか二択しかないと思います。
■本日の市ヶ谷の噂■
鳴り物入りで採用された国産小銃、20式小銃だが、チャージングハンドルがフォアグリップを支える手の指に当たって骨折が多数発生。設計不良だと糾弾する声が多数上がっている、との噂。
体育会系~日本を蝕む病~ (光文社新書) - サンドラ・ヘフェリン
この記事へのコメント
https://grandfleet.info/indo-pacific-related/indonesian-military-procures-turkish-made-ucavs-third-asian-country-to-introduce-anka/
中韓どころか北朝鮮に迄抜かれた陸自だから合成開口レーダーを追加したAnka-B迄行ったら未来兵器の世界でしょう。4年前に買った10万円のドローンでさえ未だに使えないんだから、中型UAVなんぞ持たせたら海迄飛んで行方不明続出でしょ、収集したデータだってどこへも伝えられないんだから無駄以外の何物でもない。
■本日の市ヶ谷の噂■
20式は一般の部隊への配備は中止して89式の改造で済ませば良いでしょう(エアガンのマルイにオプションパーツとして頼めば良いしょ)。どうせどっちも真面に使えないんだし、不具合の内容からすると改修などでは無く、構造変更が必要じゃないかな。
かなり昔な風景で書いてるのでは。
体育会系どうしようもない、などそうですが。
https://kazmamatimes.com/brassband/
認識甘過ぎですよ。
文系人間に体育系への服従を叩き込むのが、国家や日本企業の要請です。
ただ上の人に盲従し、追い詰められると妄動する人間ばかりになる。
昔軍隊今上場企業です。
結末も踏襲するでしょうな。
このためAIもEVも無人機も、日本はモノに出来ません。
どうしてもやるならクラブ活動は学校と関係無いところでやって下さい。
更に言うならば、天皇杯皇后杯は開催地が取る、利権に群がる輩が多過ぎて形骸化が著しく、税金の無駄遣いな「国体」(国民体育大会)なんか絶対廃止した方が良いと思います。
しかし大分すごいこと言ったもんですから「スポーツをやりたい子の選択肢を奪うな」とかかなりボロクソ言われそう。
難しいところですね。まあ学校はあくまで教育であり、部活野のためにあるのではないのは確かでしょうね。
パチモンじゃなくて本物のSCARにしましょう。
それにしても選定試験の時に問題にならなかったのでしょうか?
オプション付けてないから関係ないもーん、
だったら笑えるけど笑えない…
現場では部活動の地域移行を今進めていますが、そうした地域でもクラブチームのコーチを「ボランティアで」引き受ける教師が現れています。最初に名乗り出た教師は好きでやっているんでしょうが、次にコーチをする者は管理職や保護者からの圧力で本人の意思を無視して引き受けさせられるのが目に見えています。こうして部活動は禁止としない限り形を変えて残り続けてしまいます。
最初におっしゃられている通り夏の甲子園という文化をなくすことがまず必要ですね。
そのSCARでは、あなたのおっしゃるような問題は指摘されてません。
また20は前方握把(あなたのいう”フォアグリップ”とは普通これを指します)を標準装備しています。
Cクランプにせよクソ握りにせよこの部分を正常に使用している限り槓桿には干渉しようがありません。
本当に事故が発生しているなら教育の問題です。
ミステリーだってOKでしょう。
>ミスターフリゲートさん
>
>ところで清谷氏は、部活やスポーツのテーマのアニメや漫画についてはどう思いますか?
>
>ところで清谷氏は、部活やスポーツのテーマのアニメや漫画についてはどう思いますか?
>キヨタニ
>フィクションならいいんじゃないですか?
>ミステリーだってOKでしょう。
でもそのフィクションに影響を受けて入部したり競技を始めたり、生の試合観戦にハマる人が多いですからねえ。。。
例えばスラムダンクを読んでバスケを始めたりとか、キャプテン翼を読んでサッカーを始めたりとか。ちなみに上記2つは海外でも人気が高い漫画らしいですね。
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02288/
https://dot.asahi.com/articles/-/98522?page=1
体育会系部活も漫画の題材として描かれ、それらが海外で人気を博して日本の漫画·アニメの海外人気に一役買うことで役立っているってことなんでしょうかねえ....。
https://toyokeizai.net/articles/-/693482
>背景に自然災害の増加?この10年で部員増の部活
まあ、色々と知識が必要だし、体力も付く、キャンプ等にも応用可能、自然との駆け引きも必用。まあ、にわかのおバカ達は結構な割合で死んじゃうけどね。
本来は煽って煽って朝日と毎日が新聞売って儲けるイベントなんだよなあ~。おまけに高校生なので賞金出さなくて良いし、旅費宿泊費は手弁当だし。
新聞売るためにジャイアンツ作って、ちゃんと選手に年俸払っている読売はそこまで卑しくはありませんでしたね。
嫌がらせでいいからホリエモンあたりが優勝校以下3校くらいに
奨学金合計10億くらい出しましょうw
より良い環境でプレーできるためにクラウドファウンディングで
甲子園球場ドーム化の資金を集めましょうって言えば新聞社はどう答えるでしょうねえ~。
というか、高校球児なんか普通に朝練やってるんだから試合は早朝4時から2試合と夕方6時から2試合のナイターで良いんじゃないかな~?
昨今の暑さでは健康考えたら昼間はダメでしょう?
所謂「体育会系」の問題は「一年のレギュラーと三年の補欠」があり得るスポーツ等で「上級生>下級生」という学校の秩序を維持しようとした結果ではないかと思われます。これが学校とは離れたスポーツクラブとかであれば能力と実績で序列を作る事も可能でしょうし、序列は指導者が決め、それが受け入れらえないなら他に移るといった事も可能になるでしょう。つまりこれは「機能集団であるべきものに共同体(ムラ)の論理を持ち込む」事に根源があるのではないかと思われます。戦前の旧軍は明治の初期の頃「おらが村のためには生命身体は賭けられても、国や天皇といった"抽象的"なもののためには生命身体は賭けられない」人が大部分の中で国民意識の定着など待っていられなかったので、軍やその部隊を疑似的な「村」にして同調圧力で締め上げたものだったのでしょう。戦後の日本企業は高度経済成長の中で従来の村落共同体が崩壊する中でその代わりの「村」になっていったものと思われます。尤も終身雇用も年功序列も無くなり、企業が社員の人生を「丸抱え」できなくなって、「村」としての機能は失われつつありますが。しかし日本人は「共同体(ムラ)」でないとどうしても居心地悪く感じ、最悪機能しなくなってしまいます。例えば親鸞は阿弥陀如来の前の絶対平等を唱え、弟子ですら「御同輩」と呼んだそうですが、親鸞の末裔は親鸞の血統を神聖化してある種の「家元制」にしました。それでそれまで(浄土信仰自体は盛んであったにも関わらず)鳴かず飛ばずの浄土真宗は発展し、戦国時代には信長や家康を脅かすまでの勢力にはなりましたが、一方親鸞が唱えた「阿弥陀如来の前の絶対平等」は後退してしまったのです。こういった事に今後どう対峙していくかが今後の課題ではないかと思っています。
強豪校でも有名校でも無いし顧問の先生もそこまでは入れ込んでいなかったし放課後にちょっと顔出して適当に見て時間が来たら早よ帰れ、どんなに遅くても18時には当直の先生以外は皆帰ってましたけど。文化祭直前、大会出場で遠征して帰宅が遅くなる、補習で居残り勉強やらされる位でほぼ例外でした。
今聞く話はどう見てもやり過ぎ、度を越しています。
甲子園は何度か夏に現地で見ましたが、あの暑さの中では見ている方も死にそうでカチ割り氷ないと確実に熱中症であの世行きです。見ているだけの観客がそんなだから選手はかなりヤバいでしょう。しかし高野連は日中の暑い時間も平気で試合やらせています。
早朝とナイターにして各試合観客総入れ替え制にすればもっと儲かる物を、それより感動のドラマを優先する様で。
もう味方の選手、観客、応援団の1人が倒れるごとに味方に一点、死者が1人出るごとに10点加算(試合終了までに限る)するルールにしたら良いと思いますよ。感動もその分増えますから。どれだけ倒れて死んで試合が決まるか、スリルと感動の甲子園になると思いませんか?夏の甲子園は何人死んでなんぼの時代が来るかもですね。